「新世界秩序と日本の未来」について(書評)

 

 政治学者の姜尚中さんと、武道家でもあり思想家でもある内田樹さんとの対談、「新世界秩序と日本の未来」を読んでみました。

 この本では、主に日本と中国、アメリカの歴史と現在を斬新な切り口で扱い、米中の狭間で揺れる日本が今後どのように生きていくのかを関連国との関係性の中で示す、という内容になっています。この記事では、要点紹介と、この本の内容について私の考えたことを書いていきたいと思います。

米中の歴史と現在の対立

 まず最初はアメリカについて。アメリカは、歴史的に見ると西へ西へと進んできましたが、もう行きつくとこまで行きついてしまい、新しいビジョンを打ち出せなくなってしまっている、と内田氏は言います。これに対して、中国の「一帯一路」構想は、中国が歴史的に西に進出すること、そして南に進むこと、に合致しているため、多くの中国人の心をつかむだろうと推測しています。非常に面白い考えです。そんな中での現在の米中の対立は、AIテクノロジーの対立という見方が取れる、としています。ここでは、現代の兵器はコンピューターに制御されているため、ハッキングされたらもう使えない事を挙げ、この状況下では、AIテクノロジーで優位に立った方が軍事的にも優位に立てる、という観点から米中の対立を見ています。この米中の対立は、軍事的な、というよりAIテクノロジーの対立として見れる、としています(AIテクノロジーに軍事的要素が含まれてはいますが)。

米中の狭間で生きる日本

 こうした米中の狭間の中で生きる日本については、世界に向けて発信でききるビジョンは持っていないとし、これからは「後退戦」が始まり、それは前進していくよりも難しいと言います。日本人は特にこれが下手らしく、何かに追いつけ、追い越せと息巻いているときは知恵を発揮できるが、追いつき、抜かした途端知恵を発揮できなくなるということを、明治期から日露戦争後と、敗戦からバブル崩壊後を類似的に挙げて示します。そして、この後退戦で、日本が身の丈に合った規模に縮小しえ行くことが大事であるとしています。こうした状況下で、社会基盤の共通性の多い日韓が手を取り合う必要性を強く訴えています。しかし、それは非常に難しいということを、国民感情と国家理性という観点から説明しています。国家理性とは、国民感情を無視しても国益を重視することです。ここでは、日韓で連帯することですね。そしてその後に、感情的な理論を含めて国民を説得する。こうしたことが必要であるが、現在は国が、その国民感情に追随してしまっていると言います。では、この中で我々はどうするべきなのでしょうか。

この本から考えたこと

 この本で特に印象に残ったことは、国民感情に引きずられると、国家は理性的な決断ができなくなる、ということです。ここでは、国民感情を抑えて、国家理性に影響を与えないことが重要だと思われます。ですが、国民感情は消えることがないので、その国民感情よりも国家理性よって国益を優先してくれる人を一人でも多く選挙で当選させること、それこそが重要であり、そのためにも、どんな政治家がどのような考えのもとで活動しているのかを見るということ、平たく言うと、政治に関心を持つことが肝心であると改めて思えました。

 今回紹介させていただいた内容は、本書のほんの一端です。本来はここに書いたものよりも米中間は複雑ですし、その関連国の在り方も複雑です。そうした複雑さの中で知識をつけ、考ていくことが重要ですが、この本はそうした思考のきっかけになると思います。世界の見方、日本の見方を変化させ、政治に興味を持たせ、米中や、それに関する知識をもっと得たいと思わせる、そんな一冊でした。

「日本が売られる」について(書評)

 

 国際ジャーナリストとして活躍されている堤未果さんが書かれた、「日本が売られる」を読んでみました。

 本というものは大体2種類に分かれていると思います。面白くて続きが早く読みたい!と思う本と、つまらなくて、もう読みたくない!と思う本です。しかしこの本はどちらでもありません。面白いのに、もう読みたくない!と思わせる内容になっています。それはまさに、日本が売られる過程、我々の生活の基盤が切り崩される過程がこの本では書かれており、もうやめてくれ!聞きたくない!と思うからなのでしょう。でも、それから目をそらすことはできません。

 この本では、上記の通り日本が売られる過程が書かれており、様々な部分の「日本」が売られていく様を記述していますが、その中でも最も印象的な「水」に絞って紹介してみたいと思います。

水が売られる

 水を国民に提供する「水道」は、命のインフラであり、利益を出そうとするものではありません。採算が取れなくても、赤字でも、人々の命を守るために公によって運営されるべきものです。しかし、1990年代から、世界では水道の民営化が本格化します。〈民間企業のノウハウを活かし、効率の良い運営と安価な水道料金を!〉

というスローガン付きで導入された水道民営化は、このスローガンとは全く逆の結果をもたらすことも珍しくありませんでした。主に下記の五つの問題点が噴出したのです。

  1. 水道料金高騰
  2. 財政の透明性欠如
  3. 公営が民営企業を監督する難しさ
  4. 劣悪な運営
  5. 過度な人員減によるサービス低下

こうした問題を受けて、再公営化しようとする動きもあります。しかし、そこに待っているのは企業からの莫大な請求書で、数十億単位の違約金を払ってやっと再公営化しています。これでは何のために民営化したのかわかりません。

 このような動きを受けて、民営化は2005年以降下火になるのですが、その流れに逆行して水道を民営化しようとする国が現れました。そう、日本です。

 日本は災害が多く、外資も参入しにくいという背景から民営化から逃れてきましたが、自治体が水道を所有したまま、民間企業に運営を委託する「コンセッション方式」によって、破損した水道管の修理は自治体と企業で折半し、利益だけは企業がとれることとなり、外資が参入しやすくなりました。しかし、議会で水道民営化が否決されることが多く、(利益を企業に誘導できず)困った政府は、企業に運営権を売った自治体は、地方債の元本一括繰り上げ返済の際、利息が全額免除される法律を可決し、その後には、議会の承認不要で運営権を売れるようにお膳立てをしました。さらに、水道料金の値上げを企業が正当化できる「水道法改正案」も、オウム真理教麻原彰晃らの死刑執行の陰に隠されて国民の目には届きませんでした。

ここから見えてくることとは

 上記の事実から見えてくることは、我々が政治に無関心である限り、政府の暴走を止めることはできない、ということです。私は恥ずかしながら、この本を読むまで日本でこうしたことが起こっているとは全く知らない状態でした。しかし、無関心で、何も知らないことで生じる不利益は全て自分に降り注ぎます。政治は気候変動対策と同じで、自分一人の行動によって何になるのか?という思いによってすぐに関心が薄れ、行動できなくなってしまいます。ですが、だからと言って何も考えず、何もしなくてよいわけがありません。それこそ日本を売る側の思うつぼです。それに正しく対抗するには、事実、真実を見極め、それをもとに判断し、行動するしかありません。そして、その最初のステップの真実や事実を「知ること」は、この本を読み、内容を批判的に読むことで達成できるはずです。行動は、その次です。先ずは知ること、それが大切であると思わせる、そんな一冊でした。

人新生の「資本論」について(書評)

 

 大阪市立大学マルクス経済学を研究されている斎藤幸平さんが書かれた、人新世の「資本論」を読んでみました。

 まずこの本の主張は、無限の利益増殖を目指す経済成長をあきらめ、環境危機を脱することのできる『脱成長』社会を目指すべきだというものです。順を追って説明しましょう。

 前提として、2050年までに脱炭素社会に移行しなければ、地球は深刻なダメージを負い、農業や漁業、人々の住居等々にも甚大な被害が及び、今のような暮らしは私たちやその後の世代にはできなくなるという予測があり、この環境危機を克服することを本書は目指しています。そこでまず最初に浮かぶ疑問は、「何故、経済成長をあきらめなければならないのか?」ということだと思います。その答えは、「経済成長をしながら、環境への影響を減らすことは不可能だから」、というものです。まず、経済成長をするためには資源を採取して、製品を生産し、売らなければなりません。しかしその過程で、多くの二酸化炭素が排出されます。これは太陽光パネルや電気自動車など脱炭素化に必要とされるものも同じです。資本主義下での無尽蔵な消費社会のまま脱炭素化しようとしても、それ以降の過程で大量の二酸化炭素が排出されるという皮肉な事態が起こってしまうのです。では、どうするのか。ここでは、現在の大量生産・大量消費社会にメスを入れることを提案しています。そのためには、その社会を可能にしている資本主義を打破しなければならず、その先に、環境危機を脱することのできる『脱成長』社会があるというのです。(詳しくは省きますが、脱成長の思想は後期マルクスに見られるものであり、著者はマルクス研究からこの考えを発展させています。)

 「では、どうすればそのような社会が可能なのか?」これが第二の疑問だと思います。そのためには、人間が自然へ働きかける特殊な方法である、労働に焦点を当てるべきだと言います。その労働の変化について本書で書かれていることは単純で、以下の5つです。

  1. 使用価値(人間の基本的欲求を満たすものに付与される価値)経済への転換
  2. 労働時間の短縮
  3. 画一的な分業の廃止
  4. 生産過程の民主化
  5. エッセンシャルワークの重視

そしてこれらのことをグローバル規模で成すためには、現実に起こっている気候変動を直視し、その被害に苦しむ人たちの連帯と呼びかけに応じる必要があるとも書かれています。しかしこれをするのが難しい。本書を読み終わったあとには「では、どうしようか?」という思いが読めば読むほど強くなります。確かに具体的な案として、ワーカーズコープや有機農業、労働組合、市民電力などを挙げてはいます。しかし、大きな危機を前にして、本当にそんなことで間に合うのか?根本の解決になっているのか?という焦りが大きくなってしまうことも事実です。この焦りを消し、環境危機を克服するためには、地道で確かな行動と、大きな危機に立ち向かえるだけの団結が必要なのかもしれません。

 

 今回ここに書いた内容は、人新生の「資本論」のほんの一端です。読んでない方は是非読んでみてください。読了後はますますどうすればよいのかわからなくなるのかもしれませんし、反発するかもしれません。しかし、環境危機を克服するためには、著者の道しかないわけではないはずです。この本を読むことで、どのような社会で環境問題を解決しようかと改めて考えることや、そのための行動を促されること、それが本書を読む最大の意義ではないかと思います。そしてこれからの社会を作る人々に、広く読まれて欲しいと、そんな風に思う一冊でした。